錯誤試行

PCや生活の試行錯誤の成果を報告するブログ

大量消費文化の中で消費される萌えについて

以下は自分なりの萌え考察

もともと個人のはっきりとしていなかった一感覚を、誰かが「萌え」という外受けのいい、わかりやすい、冴えた言葉で発明したことにより、爆発的に「萌え」は「萌え」として共有されるに至った。
だがその分かりやすさ・外受けのしやすさによる大量消費のために、逆転してその意味が軽薄化してしまっているのが現状だといえる。人の間で消費されればされるほど、そのものごとの希少価値は下落していくものだからだ。
また自分自身が萌えを消費してその刺激に慣れて行けば、当然最初のような感動はなくなっていく。
集団の大量消費による価値の下落は個人へもフィードバックされ、個人自身も消費していくことにより下落させた価値を集団へフィードバックする。
これによって限りなく意味が希薄になってしまっているのが、現在の「萌え」なのだと思う。